fuchuwaltz_maika_profile

大友 舞香

潜在意識の専門家

府中ワルツヒーリングスクール&サロン代表

シータヒーリングサイエンス(最高峰称号)認定インストラクター

Message

はじめまして、府中ワルツ ヒーリングスクール&サロン代表の舞香です。

数あるヒーリングサロンの中からここを見つけていただき、ありがとうございます。

「自分らしく幸せな人生をつくる方法を世界に伝える」という信念のもと、東京都府中市とオンラインを拠点として、潜在意識を変容して望みのマインドと人生をつくる技法を教え伝えています。

私のスピリチュアルな旅は、シータヒーリングとの出会いから始まりました。

自分にはまったく無縁だと思っていたヒーリングの扉を開いたことで
私の人生は軽やかに大きく 動き始めました。

すぐに変わった事も

時間をかけて少しずつ変えた事も両方ありましたが

確信しているのは

ヒーリングとの出会いをきっかけに

生きるのが 幸せで楽しくて素晴らしい事だと、心から思えるようになったことです。

理屈や一般論としては、今生きてここに存在しているだけでも素晴らしいことで感謝すべき奇跡だということは分かっていました。

しかしそれを、私自身の本心として、こころから思えるようになったのが、ほんとうに大きな変化でした。

ヒーリングに出会う前は到底ムリだ!と思っていたことが、いくつも叶っています。

不思議ですが、私自身も体験した本当のはなしです。

人は誰もが、気づき、そして望む方向へ変わることができます

「ヒーリング」というメソッドは、それを安心のなかで、おだやかなプロセスで可能にします。

幸せな人生は、じぶん自身でつくることができます。

むしろ誰かにつくってもらうことはできません。

そして、自分にとって何が幸せかを完全に理解できるのは自分自身だけだからです。

自分自身のしあわせのために

そしてあなたの幸せが、大切な人々の幸せへと循環するように

自分自身を知る旅をはじめませんか。

変容と目覚めのプロセスを歩むと決めたあなたとのご縁を、楽しみにしています!

Let's play!


Profire

経歴

・広島県福山市生まれ。

・「人のこころ」に関心をもち、大阪大学人間科学部へ進学。社会学・心理学に触れる。

・卒業後、中央省庁へ入省。いわゆる官僚として、若年者雇用支援、子育てと仕事の両立支援、発達障害者・難病患者支援、ハローワーク整備に携わり、多様な人々の「はたらくこと」「生きること」へのサポートを国政を通じて学ぶ。

・職場結婚。妊娠・死産が人生を考える契機となり、 官僚からネイリストへの転身をきめて退職。

・長女の出産を経て仕事復帰後、東京都府中市でネイルサロンを開業。まもなくして自分自身の潜在的能力を認知し始める。

・シータヒーリングとの出逢いをきっかけにヒーラー・ヒーリング講師の道へ。

・2022年、次女を出産。スピリチュアルで鍛えた心身のセルフコントロール力と願望実現力をフル活用して、産後2ヶ月のスピード復帰を果たす。

・4人家族、2児の母

資格

◆シータヒーリングマスター&サイエンス認定(シータヒーリングの重要クラス全てをおしえることができます)

◆シータヒーリングプラクティショナー:

◆シータヒーリングインストラクター:

◆ルノルマンピケ初級講座講師

◆魂のリモートビューイング プラクティショナー
◆神聖幾何学フラーレンクリエイター

Interview

当時参加していた起業家コミュニティのメンバーから話をきいて興味がわきました。

その頃は、念願だったネイルサロンを開業したばかりでした。ネイルの仕事は相手の手に触れて2時間位いっしょにいます。そうすると、相手が口に出さないこともなぜか色々分かるんだと、気づきつつある頃でした。

子どもの頃から、相手が抱えている事や、言っている事が本心かその場の取り繕い事かが、目を見れば分かるような所はありました。人に打ち明けたことは殆どありませんでしたが。

それが加速したような感じです。

お客さんと接するたび、情報があれこれ沢山入ってきて頭の中が休まらないんです。あまり気持ちよくはない。

だから、目に見えない知覚の事をきちんと学べる場所をみつけて、アタマを整理して静かになりたい、と考えていました。

自分の感じている事が一体何なのかを知りたい、とも考えていました。

シータヒーリングを調べると、私のニーズに合いそうな内容だったので、まず個人セッションを受ける事にしました。

初対面の人の前で泣く事なんて普段ないのに、この時は泣きました。

質問に対して答えているだけで、本当に穏やかな時間でしたよ。なのに涙が出てきたのです。たぶん、自分の事をそんな優しい見方でみた事が今までなかったからです。

60分のセッションが終わると、初めて感じるようなスッキリ感がありました。なんというか、息が沢山吸えて空気がおいしい、と感じたのです。

頭の中の《ダメ出しする声》や《周りへ申し訳ないと言う声》が聞こえなくなっていることに気づきました。頭の中が静かで心地よかった!

はい、そうです。

たった60分で、呼吸は楽になるし自己肯定感が上がっているしで、これはまったく期待していなかったのでビックリしました。

それまでヒーリングや心理カウンセリングの事を、時間が経てばまた元に戻ってしまう対処療法的なものだと思っていたのです。気休めでしょうと。

でも、シータヒーリングはそうじゃない、こころの何処かが根本的に変わった!という確信がありました。

セッションをしてくれたインストラクターさんに「講座を学べば、これが誰でもできるようになるのですか?」と聞いたのです。答えは「もちろんですよ。私もそうでした」でした。

その場で、基礎DNA講座へ申し込みました。

ディグディーパーのプラクティショナー講座位までは、大変に感じていました。

当時は子育てもネイルサロン経営も必死でしたから。というより、生きる事自体が必死だった。

でも受けたいので、努力と根性と気合で、なんとか時間やお金をつくって行っていましたよ。タイマー付きスーパーサイヤ人モードですね(笑)

はい。それはもう見違えるほど。

シータヒーリングの講座中に願望を実現するワーク(マニフェスト)をした時、願望リストの中に、受けたかった講座をありったけ書いて、それから「信頼できる子育てのサポーター」を書いたのです。

すると2ヶ月後に、義理の両親が近所に移住することが急きょ決まりました。しかも、子どもの園から徒歩10分の所に。

それがちょうど、ディグディーパーをうける頃です。

当時は、子育てを自己実現のハードルに感じていました。

平日は迎え時間というリミットがあり、ダッシュで送迎してご飯の支度からお風呂に寝かしつけまでをこなすと、当時はもうヘトヘトで。スーパーサイヤ人モードでも体力に自信が持てないから、長期講座は受けたくても難しいと思っていました。

今の私からは想像もつかないでしょう(笑)シータを始めてから徐々にスタミナが持つようになりましたからね。あと、良い意味でテキトーになれたかな。

義両親が移住してきた後は、講座期間中、子供のお迎えを義両親にお願いできたので、随分ラクになりました。

体力を懸念していた長期講座の時は、義両親が長女の送迎だけでなく私の夕飯も準備してくれていたので、感謝もあいまって講座中のほうが元気でした。

はい、そういうことです。応用DNA(2つめのクラス)を受けた時は「へえ、そんなこと(願望実現)も出来るんだ〜」位の気持ちでした。

でも自分の願いが書いたとおりに叶ったことで、自分の思考が現実を作っていることを素直に認められました。

この言葉は講座の中で何度も出てくるのですが、講座をいくつか受けた頃にようやく、自分事として頭に入ってきたのです。

「私の思考を変えたら現実も変わるんだな」「だからビリーフワークするのか!」と、シータヒーリングでやるワークの意味が、やっと腑に落ちました。

これはもうシータを本気でやるっきゃないと思いました。

本物のスピリチュアルは現実を変えるということが、身をもってわかったから。

シータヒーリングというメソッドを完全に信頼できたのだとも思います。願望実現には、自分が取り組んでいる事への信頼度も影響するので。

シータが楽しくなってきて、教科書を復習ながらセルフワークしたり、インストラクターさんのセッションを受ける機会もふえました。その中で「自己投資なんて勿体ない。貯金に回したら?」「時間やお金をそんな事に使うくらいなら、家族のために何かしてあげれば?」という頭の中の声とも向き合いました。知らないうちに自己設定した限界点をこえられる思考をつくりたかったからです。

「願えば叶う!」力をあげるべく「豊かさの願いの実現」を受けたのですが、するとさらに自分の中の「叶うよ!「大丈夫!」の声が増していきました。お金や時間を確保するのも簡単になっていきました。

インストラクターさんに開催を提案して、能動的に調整できるようにもなりました。それまでは謎に申し訳なくて言い出せなかったのです。日程が合えばラッキー、合わなかったら「タイミングじゃ無かったのかな」なんて言って諦めて見送っていた。

「私の望みは叶う!」って自信が持てたからです。

沢山あります。

インパクトが大きかった事をあげるなら、次女を授かったことです。体力的に精神的に、シータ無しには親子として次女と出会えていたか分かりません。

素敵な不動産を購入できたことも印象深いです。

あと驚いたのは、シータを学んでいない夫が昇給したことかな。ピークの年は100万円上がりました。本人が1番驚いて計算し直していました。

私の場合は、身体と家族のことが沢山変わりました。きっとそこが私の向き合うべきポイントだったのだと思います。

自分が良い方向へ変わると、本当に周りの人や環境も変わるんです。

今、府中ワルツで提供している講座はどれも私のイチオシです。推せないものは売れない性格で(笑)

でも私の場合は、「病気と障害」と「関係性1パートナーとの関係」が人生をかえる大きなきっかけになりました。

「病気と障害」はまず、存在自体が衝撃的でした。さっき話したようにヒーリングをその場しのぎの対処療法や気休めだと思っていたので、病気や障害がヒーリングで癒やされるだなんて、前代未聞もいいところでした。

興味をもったのは、遺伝的疾患とそれ由来の障害をもつ父を見て育ったからだと思います。調子の悪い時、父は毎年手術や入院をしていました。

持病による合併症で父が祖父と同じ疾患を患ったときは、自分もいずれ同じようになるんじゃないかと、未来が心配でたまらなくなりました。

発症したらおわる、発症しないように人一倍気をつけなきゃ、人に迷惑かけちゃいけないと、よく思っていました。

リスクを抱えた自分の身体が好きになれなくて、この身体で幸せに生き続けられる気がしなかったのです。

元気な人や体力のある人がうらやましくて、身体に無頓着な人や不摂生をする人へイライラしていました。

夫が夜遅くまで残業して帰ってた時も「体壊したらどうするの、もっと自己管理してよ、イライラ(怒)」とね。

でもそんな自分を、自分が一番嫌っていた気がします。

「遺伝的な病気や、不治といわれる病も癒せるのですか?(創始者の)ヴァイアナさんじゃなくても?」と、尋ねたのを覚えています。

インストラクターさんは「もちろん、そうだよ」という返事でした。

その返事をきいて、思ったのです。

「素敵だな、私もそっちの世界に行きたい。発症《したらどうしよう》絶望《かもしれない》と不確実な未来に怯えながらわが身をすり減らして生きるより、『もちろん癒せるよ』『明るいよ』と堂々と言えるような生き方がしたい」と。

病気と障害クラスは10日間で、まず先に15日間のアナトミーが受講要件です。当時の私には途方もないチャレンジでしたが、絶対に受ける!絶対にこれを克服するんだ!って思いました。

そう誓った1年後には、プラクティショナーを受講できました。今はインストラクターにもなれました。ちゃんと願いが叶っています。

年末年始のセミナー開催希望を積極的に受け入れているのですが、自分自身にこういう経緯があるからです。

その人自身の意志にこそ現実を動かす力があることを体験から知っているので、世間が休みモードの中、自分の願望にコミットする人を応援したくて。

念願の「病気と障害」受講後は、じぶんのヒーリング力にも自信がつきましたし、自分の身体への愛おしさや感謝でいっぱいでした。

生まれ変わったような気分でした。じっさい、生まれ変わったのでしょうね。

クラスで学んだ自然療法の知識を食事に取り入れたら、私はスタミナ切れすることが無くなり、家族の体調もよくなりました。セルフケアが格段上手になりました。

このクラスは私を本当の意味で《ヒーラー》にしてくれた気がします。

インストラクターの道を本気で考え始めたのもこの頃です。

これは、2人目の子供を家族に迎えるきっかけになりました。夫婦関係は私のシータの学び全体を通して成長して、その大きな節目みたいなクラスでした。

インストラクターになった後の受講だったので、シータヒーリングを受ける前に感じていた「兄弟をつくる《べき》」とか「こんな世知辛い世界に産んでしまって申し訳ない」といった思い込みや、「ある日突然、夫や娘が自分の前から去ってしまうんじゃないか」という不安の声は、もう消えていました。

次女と親子になるかどうかはもはや、義務だからとか上の子の為とかではなくて、完全に私の人生の選択になっていました。

だからこそ、私自身のの責任で決める必要があったんです。

クラス受講中に向き合ったのは、自分の体力的・精神的なキャパシティでした。

具体的には、長女の妊娠出産時に抱えたものを棚の上にあげて放置していたので、しっかり精算したのです。

アタマではもう解決したと思っていても、身体の細胞は覚えていました。つわり中のしんどさや、仕事を休む申し訳なさ(当時はまだ公務員でした)、私はまた社会復帰できるのかという不安。産んだ後の体調不良。

死産経験や帝王切開での開腹経験も、もうとっくに癒されたと思っていたのに、意外にまだショックとして身体に溜まっていると気づいたので、エネルギーワークも沢山やりました。

夫への憤りもクリアにしました。私も夫も初めての子育てに必死なのだからしょうがない、誰が悪いのでもない、不満を言ってもどうしようもない、でも・・・!みたいな事です。

ずっとイライラしていたら協力し合えないので、協力していくために、棚上にヒョイとあげておくか、押し黙って溜めていたんです。

遺伝レベルで夫に「こうすべき、こうあるべき」と求めすぎていたことにも気づきました。

そういった色々を、講座のなかでせっせと大掃除しました。人生に新しい人を迎え入れられるように、リフォーム級の思考の大掃除です。

クラス後は夫のことがもっと愛しくなって、この人との関係をもっと幸せで豊かにしたいという想いがこみあげてきました。

短い講座ですが、パンチの効いたワークができたと思います。

その後まもなく、次女がお腹にやってきました。

別人かと思うくらい違う体験でしたよ。初産と経産の違いを抜きにしても、やっぱり違っていたと思います。

長女の時は、不安やしんどさに目がいきがちでした。後ろ向きな事を考えないようにずっとミシンで裁縫をしていました。それ位しか思いつかなかったので。

産まれてからも楽しむどころではなかったです。子どもは愛おしいのですが「私がやらなきゃ」「私がちゃんとしなきゃ」が過剰に強くて。しあわせと不安とプレッシャーがごちゃ混ぜでした。

次女の時はとにかく元気な妊婦でした。そして産前産後ともに、とても楽しかったです。

つわり中、出産中、産褥期間という一般的にハードな期間は、身体の中で何が起こっているのかリーディングしていました。妊娠中の体内をしげしげ観察できる機会は貴重なので(笑)。

ヒーラー仲間と色んな方法で性別当てっこをしたりもしました。

胎内の次女とはよくおしゃべりしました。産まれたら何がしたいか相談したり。おかげで産後もコミュニケーションがとりやすかったです。

この時の経験はアナトミー講座でいろいろシェアしているのですが、本当にどれも面白かった。

入院中は点滴とカテーテルが早々に外れて、帝王切開の次の日から院内をうろうろしていたので、「大友さんは元気ですね」と看護師さんによく言われました。

自治体の補助で産後ケア入院を利用してしっかり休養できたので、産後の肥立は格段良かったです。

第一希望の保育園への入園も叶い、産後2ヶ月で復帰しました。いろいろな面で願ったりかなったりで、感謝でいっぱいでした。

夫も今回、育休をとりました。

育休をとれた事というより、夫の育休を「夫本人と子供との関係のためにとるもの」という認識で見られた事が進歩でした、夫との新しい協力体制を築くうえで。

関係性1を受ける前は「私はこんなに大変なんだから、私の為に取ってね、私を気遣ってちょうだい!」って感じで育休を見ていたかな、無自覚レベルですけど。

無自覚レベルだからこそ態度や雰囲気に滲み出るものなので、潜在意識と顕在意識の両方が、私!私!ではなくてパートナーと子供を尊重できる状態で次女を迎え入れられたことが良かったと思います。

私としてもそっち(後者)の自分の方が好きですし、そっちの自分でいたい。パートナーも家族もこの先長く人生をシェアしていく相手ですから、お互い両方しあわせでいるために必要なことだと思うのです。