府中ワルツ通信⭐︎お金と時間から見える自己価値のこと
こんにちは、ヒーリングスクール府中ワルツの舞香です。
2月は旧正月、節分、立春と、
暦の上で《新サイクルの始まり》にあたる日が続きます。
2月は実現したい目標や願望を明確にして
自分の日々の生活に豊かさをたくさんマニフェストしていきましょう!

さて、今日は「豊かさ」についてのお話です。
豊かさと一言でいっても色々ありますが
数ある豊かさのなかで、
お金や時間はとくに
係数(数字)で把握できて認識しやすい
という特徴があります。
ですから、
その方のお金や時間の状況は
ある種のバロメータになっています。
何のバロメータとなり得るのか
しばしばお金や時間の状況は
その人の自己価値と連動しています。
自己価値とはこのようなものです。
自分自身に対して何をOKにしていて
何をNGにしているか
自分に対して何を許していて、
何を許していないか
自分には
どんな状態・処遇・持ち物がふさわしく
逆にふさわしくないか
自分自身は
どんな経験や環境を受けとるに値するか
逆に値しないのか

お金や時間の状況が
その人の自己価値と連動しているとは
どのようなしくみかお話しします。
たとえばその人が
⚪︎⚪︎温泉へ旅行に行きたいなぁ、と思ったとします。
本来は、そう思った瞬間から「すでに願いが叶っている」フェーズに入っています。
だから、細かな設定を決めて必要な段取りをとるなど何らかの「行動」をとりさえすれば、もう温泉旅行は行けるように設定されているはずなのです。
しかし後で
このように考えることはないでしょうか。
温泉に行きたいなぁ
でも、
家族の⚪︎⚪︎にお金がかかるから
でも、
ついこの前⚪︎⚪︎したばかりだから
でも、
仕事や育児で、そんな時間が取れないから
→ だから行くのは
難しい、できない、そんな余裕ない
これは
既に叶っているフェーズに入っているにも関わらず、叶わないにふさわしい理由をみずから見つけにいき、
願った本人が、ちゃぶ台返し的に
豊かさへのフェーズインを自主的に辞退する
という思考プロセスです。
さっき言ったように
お金と時間はわかりやすいので、
問題もつくりやすい
簡単にちゃぶ台返しできるちゃぶ台なのです。

「お金や時間がないから、できません、難しい」というロジックは、
表向きは、合理的でごもっともな決断だと
認識できるかもしれません
しかしこれは結局のところ
《私は温泉旅行にいく価値のない存在です》
《私には温泉旅行に行けない状況がふさわしいです》
《「温泉旅行へ行ける私」になることを拒否します》
と、自分から周りの世界に信号をおくっているのと同じです。
そういう仕組みになっています。
この仕組みにあまり実感がもてないなら
それは、このような事を
あまりにも当たり前に、インスタントに、やっている可能性があります。
クレヨンしんちゃんのみさえママを
例にとってお話します。
クレヨンしんちゃん自身は
もし彼が連載当初から歳をとっていたら
今39歳くらいです。
そのお母さんであるみさえママは、
世間の人がある程度共感できるように
「平成のお母さん」を投影して描かれています。
つい7年くらい前までの、
小さな子供をもつ人の行動傾向を、
みさえママはたくさん持っているのですね。
その平成お母さん代表のみさえママは
何か買い物をするとき
35年ローン返済や節約を理由にして
家族や自分に「与えない」ということを
よくやっています。
あるいは
買い渋って買い渋って
いざ買おうと決めたらもう買えなかったり
もったいぶりながら結局買ったけれど、
幸いな結果を得られなかった(壊れたり、結局使わなかったり、しんちゃんやひまわりがダメにしてしまった)
というみさえママのエピソードを、
見かけたらことがある方は多いのではないでしょうか。
(定かではありませんが、最近はもしかしたら時代の流れとともにそのような母親像に共感しない人も増えてきて、描写が減ってきているかもしれません)
みさえママというキャラクターをとおして
人がどれだけ当たり前のように
「与えない」「受け取らない」という事を
やっていて
その結果、何が起こるのか
という事が
とてもコミカルに面白おかしく、
よく表現されていると思います。
日本人の多くは、
「謙虚さ」という美徳を意識して生きている
ように感じますが
美徳としての「謙虚さ」は本来
自分や他人のエネルギーを正直にみる
ことができる、曇りなき眼差し(観点)です。
なにかを渋ったり拒否すること、
自他を卑下することとは、
根本的に異なります。
先ほど書いたように
「私は価値があります」という信号も
「私は価値がないです」という信号も、
他人が定義づけたり送ったものではなく、
その人自身から発せられたものです。
だからこそ、自分の価値は
自分自身で設定するものなのです。
自分を価値ある存在として扱うのも自分。
無価値にするのも自分自身です。
ほんとうの意味での自己肯定感を
与えられるのは、その人自身しかいないのです。

もし今、自分に価値がないと感じていて
自己肯定感をあげたい、
自分を価値ある存在として扱いたい
と望むなら、どうしたら良いか。
無価値な存在として扱っているのが
他ならぬ自分自身であるということ
前進の妨げに感じるようなできごとすらも
自分自身の発した信号に起因しているもの
だということを
本来の謙虚さをもった正直な眼差しで
みる必要があります。
潜在意識の書き換えを
「クリアリング」と呼ぶことがありますが
これは
《不要な思い込みや思考パターンをかたづける》という意味だけではなくて
《クリアな眼差しで自他や出来事を見られるようになる》という意味も含まれていると、
私は思っています。
もし、ダイエット器具のまえで購入するか悩んでいるみさえママを、真に謙虚な眼差しでみたらどんなふうに見えるでしょう。
みさえママから「私はダイエットする価値がないです」という信号が出ているのをみるかもしれませんが
ただただ純粋に、
健康で魅力的でいたいと望むみさえママも
見えるんじゃないかなと、思います。

これはあくまでも私の推測です。
皆さんはどう感じますか。