感謝祭をやる理由

こんにちは、東京都府中市ヒーリングスクール府中ワルツの舞香です。

ここに、今回の府中ワルツ6周年感謝祭をやる事にした理由をシェアしたいと思います。

 

6周年感謝祭についてはこちら

昨年末にDNA3のインストラクターセミナーを受けた時、シータヒーリング本部からスカラシップ(奨学金)を受けとりました。

これをもってDNA3イントラと、サイエンス認定(シータの主要なクラス全てを教える資格)をうけることが叶いました。

 

シータのスカラシップ審査に応募する時に、「スカラシップを受け取ったら、感謝の恩返しとして何ができますか」と尋ねられます。

 

うわべだけ立派なことを書いても伝わるので笑(シータ本部メンバーもサイキックだからね)、本心で感謝している人に対して、自分が本当にできる事を正直に書くことにしたのです。

その時に浮かんだのが、家族のかおと受講者さんたちのかおでした。

 

DNA3は、今現時点でインストラクター資格がとれる「シータのいちばん最後のクラス」です。

 

山ほどクラスを受けた先の「ゴールの一つ」というのか、この境地(名実ともに本来の自分になる)に達するために他のクラスがあるようものなので、

逆にいえば、プラクティショナーであれインストラクターであれ、「別にそこまでは要らんよ」と考える人もいるわけだったり、

受講日数や科目数だけにフォーカスが行くと、道のりがすごく遠くおもえて、ゲッソリしちゃいそうだから最初から望むのはやめよう、という人もいるのではないかと思います。

 

そんな中ここに来れたのは、教え伝える幸せや誰かの人生に違いをもたらす喜びを、私が受講生さん方から教えてもらったからだなと思いました。

講座数や金額だけみるとおったまげる数ですが、私にとっては長く険しい道のりではなくて、なんだかギフトを受け取るような旅でした。

 

そう考えると、今までサロンへ来てくれた方に自然と感謝が湧いてきて、彼らをなにか後押しできる事がしたいと思えてきました。

 

彼らへの感謝還元として何ができるかを考えた時、まだ自分のために「お金や時間を使う」「本気を出す」がとても大変だった過去の自分が思い浮かび、今回の感謝祭の内容をコミットしました。

 

そして、無事にDNA3イントラと、サイエンス認定をうけて、もう一つのコミットだった家族への感謝も完了!

 

ここまでは良かったんです。

でもある時、色々やり切って燃え尽きたような、なんだか疲れていていろんな事に対してエンジンがかからない自分を感じるようになりました。

 

衝撃的な大きなことがあったからではなく、

気持ちの面で小さなショックがあったり、家族の体調不良が続いたり(で、それを至近距離で看病×疲れで私も罹る)、年度末でその他いろいろが少しずつ重なって、

私の許容量がいっぱいになったタイミングで、「はい、ちょっとここらで休もうか」モードに自動転換したという感じです。

 

もともと「悩む暇があったら動く」スタンス人間なのと、

ちょうどサロンとして借りているマンションの契約やオンライン機器の更新で、お金の出入りも大きい時期だから踏ん張らなきゃという思いで、

さいしょのうちはそれでも頑張ろうとしてマニフェストしたり動いたりしていました。

 

でも、あまり思うように叶わない。

最初はビリーフワークをして思考に働きかけていましたが、もはやそういう状況じゃないなと気づきはじめました。

・・・そこでようやく、自分がエネルギー切れしている事に気がつきました。

今は休む時なんだな、と。

 

 

以前こういうふうになったのは、10年前に死産をした時でした。

 

こうなるともう、焦って悩んでジタバタするほど「おつかれ迷子の森」にどんどん迷いこむことが既に分かっています。

サナギが空を飛ぼうとしているようなもの。

休みが必要なんだから休むしかない。

 

でも頭の中では

「どうにかして早く状況を変えたい」と言う自分と、いちばん本質的なところがまだ枯渇している自分が、延々とおしゃべりしている、

あまり気持ち良くない状況です。

 

ただ、以前と今とで決定的に違ったのは、

このモヤがかかった暗い時期が、長い目でみたらこの先誰かを導くために必要なこととして起こっているのだと分かるいう事でした。

 

10年前のあの時は、自分が意図したとおりになることだけが奇跡ではない、生命が存続する事だけが奇跡ではないという理解につながった。

今回は何なのだろうか、という観点です。

 

それだけといえばそれだけなのだけど

今回の私にとっては大きなポイントで、宇宙の流れを信じて身を委ねられるだけ委ねてみるか〜と思えたのです。

 

それで、生産性とか効率はできるだけ考えないことにして、仕事もだいぶセーブして、やれる事とやりたいと思える事だけやって、気ままをゆるして過ごすことにしました。

 

そんな中、結婚10周年の記念で夫とふたりでご飯をたべて映画を観に行くことがあったのですが、

ふと「私、今現在すでにすごく幸せだな」と感じました。

目の前に一緒にいたいと思うパートナーがいて、その人と映画を観て、美味しい牛タン食べながら「今までありがとう。これからもよろしく」とか言ってるし。

 

しかも、それだけではなくて、

以前のように、おつかれ迷子の森へ自分からズンドコ入って行かないし、

セルフワークで「はいはい、そっちじゃなくてコッチですよ」と、自分で自分をガイドできている

 

気持ちの揺れはあるんだけど、まあなんだかんだ創造主とおしゃべりなんかして、前向きさを充電できて

以前は完全に引きこもって夫以外は誰とも会わなかったのに、今は好きな人と会ったり、信頼して頼れる人のもとへセッション受けに行けている

 

普段に比べたら仕事はセーブ気味ではあるのだけど、お仕事の時間が私の癒しの時間にもなっていて、仕事がエネルギーチャージになっている(以前はやる程ストレスですり減りまくっていた)

 

・・・あら、そう考えると、

私以前にくらべたら、別人28号だな。

 

すごく素晴らしいものを沢山持っていて、

たくさんの人や状況に助けられていて、

何より、それにちゃんと気づけているな。

 

その上、以前もそうだったし今回も

爆睡できる心地よい寝具で寝られて、家があってしっかりご飯が食べられて、生産性とか今は考えられないけど、とりあえずちゃんとここに生きていて

すごく恵まれているなぁ。

周りの世界に愛されているなぁ。

と思えたのです。

 

相変わらず頭の中に「ねえ、どうにかしなきゃ」って声はするんですけど、

その「どうにかしなきゃ」なしっかり者の舞香さんに、本音でこう言えたんですよね。

 

個人事業主だからとか、サイエンス講師だからとか、親だから「こうした方がいい」は、まあ社会人として大事っちゃ大事よ。

でも善悪の識別とかの外せない事以外は、この際、横に置いておいて

今このまんまの私でもう完璧なんじゃない?

今の状況がもうすでに奇跡なんじゃない?

 

しっかり舞香の声はすこし小さくなりました。

 

そうやって自分と対話したり、牛タン食べたりディズニーランドや動物園で遊んでいるうちに、ふつふつと気づきが湧いてきました。

 

 

するとある時

今の自分が本当にやりたい事って何だろう

どんな選択もOKだとしたら、この先どうしたいの?

考えられるようになりました。

 

むかしから、自分の意識が「人の役に立つ」とか「人の幸せのため」に傾きすぎている時があるので、意識的にバランスをとる必要があることは認識していました。

 

良い悪いではなくもともとの性質のいちぶとして今は受け入れてきたつもりでしたが、

もしかしてまたちょっと傾きすぎてたかな?とピークに疲れを感じた時に思ったからというのもあります。

 

加えて、サイキック力がはたらくようになると、未来に自分が何をやるのかがそれなりにわかります。

 

情報は未来からやってくると言われますが

未来が分かるともう「やりたいかどうか」というよりは、そこに向かってやる必要があることや、それが用意されているのが分かって、あとは宇宙にゆだねて「ただやる」だけなのです。

これは割と最近わかった新しい感覚です。

 

であるとはいえ、

今はじぶんの「やりたい・こうしたい」をもう少し聞いてあげようと思って、

意識的に自分の声に、よくよく耳を傾ける事にしました。

 

 

すると、じふんから1番に返ってきた返事は

「もっとヒーリングをやりたい」

「私はこれからもヒーラーを育てたい」

「ヒーラーを育てる人をもっと育てたい」

「そうすること自体が喜びだから」

というものでした。

どうやら私は本質的に、与えたい生き物らしい。

 

家族のことに関しては例え余命1年だったとしても、案外心残りがないのだと分かりました。

「あの人たちには私がいなくちゃ心配」などのじぶんから依存を誘発するような思考が、私と夫や子どもとの間にはもう無かったからです。

 

うん、じゃあ私がやりたい事、

やれるだけやりたいだけやってみよう!

 

・・・となった時、

セッションや講座ができるサロンがもうあって

パソコンもWi-Fiもある

Webサイトや予約システムもある

仕事をしている間、子どもたちをみてもらえる環境がある

体調も回復してからだも元気

あとは、私自身がゴーサインを出すだけだったと気づけたのです。

 

というか

今までだって、自分がやりたい事をできてたんじゃないか!

なぁーんだ!パーフェクト!

 

そう思うと、

もう身の回りのすべてに感謝が湧いてきて、このあったかい気持ちを表現したいと思いはじめました。

 

ここで改めて、

スカラシップを申請した時の初心にもどることができました。

 

んで、今回行う受講応援スカラシップの中身なのですが、採算や生産性を考えすぎず、やりたいようにやってみることにしました。

 

「やりたい事をやりたいようにやる」のが今のモチベーションであり、

良くも悪くも真面目にきちんと、人のために生きてきた私にとっては、実はこれがチャレンジだからです。 

 

やりたいようにやってみようと思うと、感謝祭をやることが何だかとてもワクワクしてきたのでした。

 

 

ここまで読んで下さり、

「私も迷子の森にいるかも」と思った方へ。

 

自分のために「お金や時間というエネルギーを使う」「本気を出す」って、人によっては簡単じゃないと思います。

少なくともシータを学び始めた頃の私にとってはすごく大変で、これから戦いにでも行くのか?というほどの気合いが必要でした。

スカラシップを受け取った感謝の還元として料金の割引をえらんだのも、そういう過去があったためです。

 

からの、一体いくつ受講してきたのかパッと数えられない(位受講してきた)今現在、

なんで今、ここに居られているのかなと、考えてみたんです。

 

いちばん最初に、浮かんだのは、

今回のDNA3のスカラシップも含めてあたたかく具体的な支援・応援があったおかげだな、と思いました。

これもまた、やっぱり感謝なのでした。

 

ここで終わっても十分なのですけど、もうちょっと考えて、これを私(当事者)側の要因からみてみることにしました。

つまり「私がどういうエネルギーを発していたから出来たのか」ということです。

 

すると、今このタイミングで良いの?ほんとに大丈夫かな、という疑いや、「今よりも⚪︎⚪︎(円安とか子供が⚪︎歳になったらとか)な時の方が良いはず」という期待は、この際ちょっと横においておく

そういう勇気がもてたからだ、という声がきこえてきました。

 

やりたい事に対してジャッジしたり期待するというよりは、

そのためのサポートや後押しがあった時に「創造主に導かれているんだから、大丈夫」ととりあえず信じて、その時点でぴょんと飛び込んでいく

そして、やりたい事を楽しむことにフォーカスしてみる、

その先に、今の自分と出会えたのだと思います。

 

ですからまずは

お金も時間もサポートもたっぷりあって全てが可能なら、何がやりたいのか」考えてみてください。

方向性がうまれます。

(この感覚そのものがよくわからない方は、シータヒーリングの豊かさと願いの実現を受講すると良いと思います。)

 

あとはですね、

なにかやる事を考える時に「気分がアガッているかどうか」はとっても重要な判断基準です。

が、いつもいつも「アガるから⚪︎、アガらないから×」ではない、という認識も持っておくと良いのではないかと思います。

 

魂の望みが、顕在意識で考えたら「何それ?」「それやって何になるの?大変じゃない?」みたいなことがしばしばあって、

本能的・顕在意識的なジャッジが、結果として魂の道に沿って生きることを妨げることがあるからです。

 

何が言いたいかというと

恐れや疑いはあなたの神聖な道のりの助けにならない」ということ。

 

だからシータヒーリングではビリーフワークをして重い思考をクリアにします。

 

究極、やりたいならいつやったってベストなのです。

 

だからこそ、やりたいのにやらなかった時

自分の成幸をどこかで許さない自分がいた時、

「あの人や自分が、あの状況が、ああだったせいで」という後悔や憤りがのこります。

言い訳が上手な人もいますが(私みたいな)、なぜ言い訳するのかっていうと、やはり後悔かそこまでいかなくても心残りがある自分がいて、それをなだめようとしているのではないでしょうか。

 

だから、ちょっと考えてみて、やりたい気持ちがあるなら、やる。

結果は気にせず、やれる所までやってみる。

休むことやボーっと過ごすことも、やれることの一つです。

 

今弱って疲れている人にとっては厳しい言葉にきこえるかもしれませんが、それは「やれ」なかったのではなく、「やら」ない自分・「やら」ない人生を招き入れた結果ということなのです。

 

迷子の森にずっと居たいなら、宇宙はそれを「そうだね」といって究極の愛でそれを実現してくれます。

「今はまだ迷っていたいんです。」「森を出てどこに行けば良いか分からないから」「森の外は大変なことが待っているから」と言えば、宇宙はそれすらも許して受け入れて、ずっと迷子の森にいさせてくれます。

 

でも大事なのは、「本当にそうしたいのか?」というところなのです。

 

そこが人間関係ドラマの森や、先延ばしの森の場合も、同じことがいえます。

森の中にいれば、頑張らなくてもいいし責任ももたなくでもいい。

迷いの森の水は、甘いです。(経験談)

 

今これを書いていて思い出したことですが

中学受験と大学受験の時、予備校のそれぞれ異なる先生が「受験に成功するのはどのような生徒か」と保護者から聞かれて、両方とも「素直な子です」と答えていました。

 

たしかに、自分の経験を見ても周りの他人をみても、自分のやり方や「いついつすべき、こうすべきああすべき」にこだわりすぎている時って、同じところをグルグルし続けているだけであまりうまくいかない。

 

支援や応援の手が差し伸べられた時、

「あれこれジャッジせず素直に受けとる」って姿勢があるかどうか

これは人生の幸福度に大きく影響するポイントなのだと思います。

 

「自分軸で生きる」

「本来の自分で生きる」というのは

なんでもかんでも自分で決めた事にこだわることではなくて、

すべてが宇宙からの神聖な導きのもとに起こっているという信頼であり

「大丈夫だよ。だってあなたは素晴らしい存在なんだもの」と、どんな時もじぶんに言ってあげられる姿勢ではないでしょうか。

 

産まれてから死ぬまで、ずっとずっと一緒にいるのは、自分自身しかいないのだから。

愛のある言葉を自分にかけてあげましょう。

愛のある経験を自分に与えましょう。

 

皆さんが「本当のしあわせを感じる自分」と出会える事を信じています。

そしてその道のりを見守っています。

愛と感謝をこめて。舞香より。

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